Cotton Cardigan, Navy





http://www.e-workers.net/store/spot/card/ia1.htm

やっとできました・・・スーピマオーガニックコットン・毛羽を巻き込むコンパクト紡績。縫い目はロックが出ないリンキング。ボタンは高級黒蝶貝。

やりたいだけやり切ったニットカーディガン。

私が冬に成るといつもするのがオックスのボタンダウン+ネクタイ+カーディガン。
その上にウールのジャケット着てステンカラー。下はジーンズ・チノ・4ポケットパンツのようなトラウザー、まぁ、何を合わせても合います。軍パンだって外しでならいいかも。


今回使った糸。超長繊維のスーピマ、さらにコンパクト紡績を使っている理由は何より、出来る限り長く、毛玉が出来ないようにするため。

まず、糸の毛羽とは・・・


上から、ガス焼き。コンパクト。コーマ(コーマという櫛ですいて短繊維を落とした糸。ここで落ちた綿をあえて混ぜたのがWORKERSよくTシャツに使うラフィー)
毛羽の出具合の違いが良くわかる顕微鏡写真。
こう見ると、ガス焼きまでしたものが一番毛羽は少ないのですが、毛羽が落ちた分糸が痩せます。17SSのシャツ生地はガス焼きまでしている糸を使いましたが、セーターはその手前。コンパクト紡績の物。

ちなみに・・・糸は
「カード」(コーマ・櫛ですいて短繊維を落としていない)
「コーマ」(カードを櫛ですいて短繊維を落としたもの)
「コンパクト」(精紡機にある部品がついていて、短繊維を巻きこんだ物)
「ガス焼き」(精紡機から出来上がった糸を焼いて短繊維を落としたもの)

等があります。一般的に、下に行けば行くほど短繊維が少ないと言われてますが、原綿・糸の太さ(番手)にもよるので一概には言えません。


さらにデータで。
単位あたりの短繊維の数を数えたもの。

40番のコーマとコンパクトを比較しています。
たとえば、10Mあたり5mmの毛羽の数はというと・・・
精紡機から出てきた段階ではコーマ10.1個にたいして、コンパクトは7.2個。
この段階では大した違いではないけれど、次に、これをチーズアップという持ち運びしやすい大きさに巻く。
そうすると、同じ条件で、コーマは91.1個、コンパクトは22.6個。


ちょっと長くなりますが・・・糸が出来上がってから染まるまでにも・・・

精紡機から糸が出来上がったところ。管に巻きついた糸は微々たる量。
このままでは運べないので・・・

チーズアップという作業。下に先ほどの精紡機から出来上がった細い管があり、それを何本もつなぎ合わせて大きなチーズと呼ばれる状態にしていく。

今度は染め工場へ。
上にあるのがチーズアップした糸、これをソフトにまき直し。上から下に向かって巻いてます。
染料が通りやすいように、中に穴がたくさん開いた管に「ソフトに」巻いていきます。
きつく巻いたら染まらないのです。
窯に入れて糸を染めているところ。中に軸があり、底から染料が外に向かって出る。
さっきの管の穴を通って、染料が外に・外に出て均一に染まっていく。
今度は染まった糸を、最初とは逆にまたチーズ巻に戻していく。
これで、次の撚糸(糸を撚る)工程や、織物なら糸を織機にかかる状態にかける工程へ・・・


と、編み機や織機にかかる前の段階でもいったい、何回まき直しをしていることが・・・
こういう工程をするごとに、先ほどのデータのように加速度的に毛羽は増えていきます。
もちろん、新品ではその違いはほとんどわかりません。「整理」と呼ばれる、織った生地の表面をきれいにしたり、編地でもセットとか、いわゆる「新品時に綺麗に見えるように」という工程があるのです。

でも、家で何年も洗えば、その生地、その編地の素性が見えてくるのです。
ニットはどうしても、新品状態では違いが分かりづらいですが、良い素材を使っていると長い時間が経った後に違いが出てきます。

う~ん、今日はあまりにマニアックな話題だったので、明日はモデルに実際このカーディガンを着てもらいます。

Cruiser Vest, Tiger Camo


柄にもなく・・・展示会では作らなかった、いわゆる「期中商品」を作ってみました。(追記、すいません。早々に売り切れてしまいました)


展示会でCruiser Vestを見たとあるお店さんから「これでタイガーカモとかあればな」と言われて、ちょうど生地も数枚分あったので作ってみました。

サイズ感は全体に、デニムより少し縮み気味、小さ目。
表地・裏地の縮率もデニムとバランスが違うので、全体に立体的な皺が出てます。

サイズ36/38/40を作ってますが、卸先さんからオーダーも入ったので後数枚です。

http://www.e-workers.net/store/stocks.htm

Cruiser Vestは16FWでひとまずお休み。17SSからは新しい仕様・デザインのHunting Vestが登場予定です。

WORKERSのこれから、ポップアップショップに向けた意気込み

スペースの都合でWORKERSのこれから、が独立していまいました。TCBさんごめん!
という事で、WORKERSはこれからどうなりたいのか。
そして、TCB・WORKERSともに今度のポップアップショップに向けた意気込みを最後に語ります。




TCB: WORKERS、これからの目標は?

WKS: 誰が着ても、その人の良さがにじみ出るような服。それをプロの技術でつくれるようになりたいです。

TCB: 具体的には?

TCB×WORKERS
こんな風に、他のメーカーさんと合わせてもしっくりくる、着てる人の人柄が出る服を作りたい


WKS: 自分が作りたいもの、着たいものを作るのは大前提。じゃぁ、自分が作りたい・着たいものって何か?って考えた時に思い浮かぶのはベーシックな服。私自身もそうだけど「ファッションピープル」じゃない人でも着られる服。つまり、だれでも着られる服。昔見た、ビンテージの良いなと感じた部分を取り入れた服。着こむことでより愛着が湧く服。デニムであるとか、パッカリングであるとかもそうだけど、着こんでくたびれたセーターもそうだし、袖口がほつれてきたツイードジャケットもそう。そんな洋服を作りたい。

TCB: それをプロの技術でというのは?

WKS: そんな服を、自分の身の回り。目の届く範囲で。品質を維持・高めるためにはだれが作ってるかわからないじゃダメ。WORKERSで企画する服は思いもよらない部分に大事なポイントがあるので、それをわかってくれる工場が必要。WORKERSが、その工場を丸抱えにできるほどには成らないけれど「WORKERSの製品は品質・納期・単価ともに無理が無い」とか「うちの工場の強みを生かした物を作っている」って言われるようになりたい。
工場を持たない、ファブレスメーカーとして「工場の強みを工場自身よりもわかった物作り」をしたい。それって、一言で言えば「プロだな」って思うんだよ。


縫製工場だけじゃなく、糸染める工場だったりネクタイ工場だったり。
出来る限り、その工場に行って、また次のアイデアをもらったり。
おこがましい事言えば、その工場が気付いてない価値を探し出して、それをWORKERSの企画で形にできたら本当のプロだと思う。

TCB: 確かに、服を企画するうえでプロである条件・・・色々大事なポイントはあると思います。時代の流れを読めるとか、コーディネート提案できるとか。そんな中でWORKERSが目指すのは、工場の強みを生かした企画なんですね。でも意地悪な質問すれば、だったらファクトリエも大きな意味では同じことをしているし、工場がもっと前面に出てますよ?

WKS: 確かに。でも、そこで最初の話に戻るのよ。「自分が作りたい、着たい服が大前提」にね。アイデンティティというのか、自分が生きた証というのか。それを残したい気持ちはあるからね。

TCB: そのお互いがやってきたことの証拠というか、形を直接お客様に見ていただいて、話が出来るのが今回のポップアップショップですね。

WKS: そう。TCBもWORKERSも、基本的にはネットやブログが自分の考えてること、気持ち、思いを伝える場所。世界中の人に、時間関係無く見てもらえる強みはあるけれど、やっぱりどこかでもどかしさを感じていたでしょ?

TCB: そうです。写真だけでは中々伝わらない上に、僕はWORKERSみたいに文章で伝えるのも苦手ですから。

WKS: だからこそ今回、ポップアップショップをやろうかな~と考えた時にTCBに声をかけたのです。頑張って、お客様に自分が何を作ってるのか、どうやって、どんな思いで、どこを大切にして。そんなことをお互いの言葉で伝えてみましょう。

TCB: さらに、TCBはTCBにしか出来ない事。ミシン持って行って、裾上げもやります。どうぞ、9/10-11のポップアップショップ、是非足を運んでみてください。

この太った二人の猫好きがお待ちしております。
何と言っても、お互い、ステッチの一本、型紙の線一本まで「どうしてこうなったか」はわかります。
自分で企画してますから。
是非、WORKERSの製品、TCBの製品の現物を見比べて、その作りの違い。
ひいては考え方の違いを感じ取ってください。
9/10-11、中目黒でお待ちしております。

WORKERS創業~

二三日開いてしまいました、TCBから話しをWORKERSに戻して、本日はWORKERSを始めてから・・・のお話です


WORKERS始めた頃の話・・・

TCB: WORKERSは元々ホームページでしたよね?

WKS: 当時も服は作っていたけど、まだ完成度も低い。いきなりそれを売るとか考えないで、まずは自分自身の知識も深めたいし、もっと多くの人に自分の好きな服を知ってもらいたい。そんな想いから、古着やその製造メーカーを調べたりして紹介するホームページを始めたよ。

TCB: 反響はどうでした?

WKS: なーんにも無いよ。よく「壁にボール打って返ってきてまた打って」って感じだなと思ってたもん。ただ、自分で調べたいことがあって、その実物を集めて、出来る限りわかりやすく写真を撮って。その時のノウハウがその後、メーカーとしてWORKERSやるのにもつながるのだけど。

唯一残っていたWORKERS始めた頃の写真。手前の二人は当時の同僚。
14インチのテレビにYKKの箱、立ってる原反、かかったパターンにLeeのアドライト。
奥にはミシンがあって、手前には撮影用のレフ版変わりの段ボールにアルミホイル。
夢はあるけど、置き場が無い!という感じ

TCB: その当時は、それがそのままつながるとは思っていなかった?

WKS: まったくね。それより「今日はこの写真を撮ってみよう」「あの資料は何とか手に入らないだろうか」「この服解体して、今の設備で縫ってみよう」そんな事ばっかり考えてた。

TCB: 当時、勤めていた仕事に影響は?

WKS: 古着、特にアメリカのワークウェアを知れば知るほど「ラッパ(金具)」や、専用にミシンで縫われていることがわかってきた。カマダのすごい所は、そうやって「このミシンがあれば」「この金具があれば」と思って調べるとあるんだよ。

一枚帯、ちょろっと探しただけでこれだけあってこれはサンプルにしか使ってませんでした
なんて贅沢・・・

UNIONのこれは帯付けかな?
帯付けだろうと、前立て縫いだろうと、裾巻きだろうとありました。
「うちは恵まれてるよね」って先日登場の旧専務はさらっと言いますが、やっぱり恵まれすぎです。

TCB: ミシンの台数、異様でしたよね。

WKS: 古着のある部分の縫い方を調べる。「あ、このミシンが要るんだ」となって社長や専務に聞くと「あるで」って。昔は使っていたけど、徐々にメーカーからの要望がそういう設備を使えるものではなくなった来たので今は使って無かったり。

TCB: もったいないですよね。設備使って綺麗に縫えれば、もっと早い・うまい物が作れるのに。

WKS: そう!だから、いろいろなミシン出してきて自分で縫ってみて「こういう事が出来ますよ」って言う部分縫いを作り出したのがこのころ。シャツの前立てはこういうミシン使って、こういう巾で縫えますというのを作って。それを切ってA4の台紙に張って、取引先に配ったり。

TCB: 反応はありました?

WKS: 一部だね。まだ、いわゆる「ワークウェア」とか「アメリカントラッド」といった、そういう設備を使って縫うとそれらしい物が出来る物が流行りだす前だったから。でも、一部の取引先の人はずっとその部分縫いを保管してくれていて、自社でそういう企画が出た時には自分が会社辞めた後でも勤め先に電話くれたりね。

TCB: そこからどうやって製品作りに?


そういえば、シャツだけじゃなくてニュースペーパーバッグも営業用に作りました。
でも、最初は全然反応が無くてWORKERSで作って売った事がありました。
それを持ってさらに営業してその後何社か会社にオーダーもらえてうれしかったなぁ。
それにしても、好き勝手やらせてくれた勤め先でした。

WKS: 会社で部分縫いをしても中々反応が無い。かといって、当時の勤め先はオリジナルブランドは絶対にやらない、自社は裏方だ!ってプライドがある会社だった。私自身もそういう部分が好きだったしね。当時、シャツの工場があったんだけどどうしても仕事が埋まり切らない。そこで縫える製品を形にして、取引先に見せても中々反応が無い。そこで、あるとき上司に「このラインで自社の製品は縫えないから自分の製品を縫わせてくれ」と言ったのが最初だね。

TCB: 会社勤めしながら、そこの1クライアントにもなると。

WKS: ほんと、そういう事を許してくれたカマダという会社に感謝しか無い。で、せっかく作るなら・・・と何とか資金をかき集めてボタンを作ったり。そうこうしているうちに欲が出て、シャツだけじゃなく抜染生地のWabashを作ってカバーオールを作ってみたい。だったらアメリカで作り方を調べないととなって。

TCB: そこがWORKERSの無茶な所ですね。行かなくても良いでしょう?

WKS: いや、当時はあのWabashって生地が先に染めてから色を抜く抜染なのか、それとも、先に柄を糊のようなもので描いて染まらないようにしてから生地を染める防染なのかすらわからなかったんだよ。それで、当時の資料を探すためにアメリカに。


夜な夜なサンプル作り。
本当に、ほとんど初めての「量産品」
工場で流す事前提なので、絶対に間違いあってはいけないと必死。
このころには、もう少し広い所に引っ越していましたが、後ろのカーテンに注目。
前の家から持って行った遮光カーテンです。


TCB: よく会社休めましたね?

WKS: それはもう、カマダさんの理解としか。でも言い訳すると、当時、受発注や見積もりをだいぶシステム化したんだよ。AccessとかExcel使って。そのうえで、自分の後に入った後輩には、業務の大部分をマニュアル化して、だれでも同じ仕事をできるようにしていたから。だから、アメリカに1週間近く居た後も専務から「お前が居なくても仕事が回るな」って。

TCB: うれしいような悲しいような・・・

WKS: 会社の仕事って「この人がいないと出来ない」じゃダメでしょ。会社自体が一つの生き物みたいに有機的に動いて。だから、私なんかいないでも会社は回るっていう状況はかえってうれしかったけどな。


はじめてのアメリカ。いきなりレンタカー5時間運転。
ネットで調べた博物館へ行って、その展示を撮影させてもらって。
我ながら、この時の行動力はすごかった。
私自身、国内の旅行すらほとんど行ったことが無い、そもそも旅行に興味が無い。
「調べたい」「知りたい」が先に立って行ったアメリカでした。
でも、その後ニューヨーク、サンフランシスコも行って。
過ごした時間は少しだけど、「アメリカらしい」と言うしかない楽しさは肌で感じることが出来ました。
TCB: 製品はネットで売ったんですよね?反響はどうでした?

WKS: 数年ホームページをやってからだったからか、自分が思っていた以上に反響があってうれしかったな。開いていたラインもWORKERS以外にも仕事が入るようになったし、今度はその自分が作った製品を取引先に見せて「こんなものが作れますよ」って勤め先の営業も出来たし。

TCB: で、いよいよ独立と。

WKS: そういう状況がしばらく続き、社長から「そろそろ独立しろ!」と言われてね。当時は「これ一本でやれるか?」という不安もあったけど、今思えば社長や専務は「今がタイミングだ」って後押ししてくれたんだと思う。

プリント屋さんでさぼってうちあわせ中のWORKERS舘野。
意外と自分の写真って残ってないです、自分で撮るから。
これはカメラ好きのプリント屋さん(現 cafe de blancさん)に撮ってもらった物かな?

これは生地屋さんにStifelのモールスキンをベースになる布から作ってもらう時の打ち合わせ。
織り目の模式図を絵で描けば良いのに、何を考えたか、わざわざ自分で紐で組んでみて持って行ったところ。
たぶん、とても変わった組織だったので、それをルーペで見ながら再現してたかったのでしょう。
最初はWORKERS完全別注で始まったモールスキン。
その後、他からも引き合いがあったのでWORKERS Exclusiveをやめて色々なブランドさんが使ってくれました。

TCB: その後のWORKERSは?

WKS: いよいよ独り立ちしてからは、勤め先のカマダさんだけじゃなくていろいろな工場に仕事を頼むようになったよ。それも社長が「うちだけじゃなく、他でも作れ!」って言ってくれてね。適材適所、自分が作りたいこの製品はどこの工場が最適かなって探して。

TCB: 工場はうまく見つかりました?

WKS: 今でもお世話に成ってる総社縫製さんはお互いシャツの縫い方でつながったんだよ。WORKERS見て「縫い方良く知ってる人が居るな」って思ってくれて連絡をもらい。で、一度工場見においでって言われて行ったり。もともと、ユニフォーム系の縫製工場さんなので技術はぴか一。でもカジュアルの独特な専用ミシンや金具、ビンテージの変な縫い方とかはわからない部分があったので、聞かれれば教えに行ったり。たまたま、今の仕事場から総社縫製さんが車で20-30分と近いのもあってね。そんな風に、隠さずWORKERSでいろいろ公開していたおかげもあって、工場さんは徐々に広がっていったね。


シャツと言えば総社縫製
工場長にも、総社縫製の母体、山崎産業の社長にもお世話に成ってます。
でも、一つだけ私自身の事を自慢?というか、努力してきたことを言いたいです。それは

「工場の設備がわかってるからこそ良い企画が出来る」
それがある程度出来ているのがWORKERSの製品であると、自負しています。

どんなにうまい工場でも、その工場に合わない製品・仕様は良い物が出来ない。
良く「職人泣かせの」とか言うのはうそです。
正当な工賃が出さえすれば、どんなに難しい物でも工場は泣きません。
単純に企画の人間が製造の事をわかっていないから、作る人を困らせるような無理ばパターン・生地・縫い仕様なだけ。難しいじゃなくて無理を通してるから泣くのです。

WORKERSは、私は、本当の意味で洋服を企画するプロになりたいのです。


TCB: 最近は展示会もやるようになって。

WKS: 最初は個人様への販売だけだったんだけど、徐々に「卸出来ない?」といった連絡をもらうようになって。そうなると「製品を見てオーダーしたい」という要望を多くもらって、展示会をやるようになったんだよね。半年分のサンプルを一気に作って、会場借りてと資金繰りが大変だったけど。それはもう、銀行さんのおかげとしか言いようが無いね。

TCB: WORKERSはそういうの隠さないですよね~

WKS: だって、株式公開している会社だったら、決算書から何から公開しないといけないじゃない。一人でやってるからって言って、資金繰りだったり事業計画だったりは絶対あるわけで。隠す必要もないしね。自分がアラブの石油王の落とし子で、その遺産で遊びにやってるとか、そういうわけでも無いし。親が縫製の仕事していたわけでもない(公務員です)。TCBもそうでしょ?

TCB: 確かに、うちも親がこの仕事していたわけでも無いので、ミシンはおろか机一台買うところから自分でしないといけないので大変は大変でした。


と、このあたりで「これからのWORKERS」を書こうと思ったのですが、長くなりすぎたので次回にわけます。

TCB創業~、そしてこれから目指すところ

話をTCBに戻して、井上君がTCBを創業してから今日までの道のりを本日はご紹介します。「はじめちゃん一代記」、スタートです。



TCB設立・・・


WKS: 話は前後するけど、そうやって何社か児島で渡り歩いて、いよいよTCB設立と。何か目途があったの?

TCB: いや、この時も何もなかったですよ。それでも、自分で「今だな」と思って。

WKS: 正直、君を知る人、私含めてほとんどが「やっていけるの?」って心配してたよ。でも、君を良く知る人は「あいつなら大丈夫」って思ってたみたいね。

TCB: 矢部さんみたいに、僕のちゃっかりしてる部分を知ってる人は何とか成るんじゃない?と楽観的に見てくれていました。

WKS: でも最初は一人でしょ?仕事はなにやったの?

TCB: 設備はそろっているけど、いきなり製品を作る仕事はいただけないのでまずは部分的な縫製の仕事です。それこそ革つけや加工のリメイクから・・・

WKS: 児島の生産方法について詳しくない人にここで解説。児島はじめ、西の地方では「組縫い」と呼ばれる部分的に外注に縫製を出すという生産形態があります。革つけというのが、革パッチ、紙パッチ等が洗い加工でダメに成らないように洗い加工が終わってからつける仕事。リメイクはその名の通りですが、たとえば、穴をあけて洗って加工。それから、その穴に布をあててふさぐといった物。後者は特にジーンズを縫うことに特化した工場では難しい。本来製品を形にする工場はそれに向けて、ミシンのレイアウト、人の配置をしています。そういう工場でリメイクをやろうとすると何もすることが無い、手空きの人が出てしまうためです。

TCB: なので、一人しかいないからこそできる仕事から始めました。当時は家でやってましたね。

WKS: その後、徐々に近所の人に一人、二人と手伝ってもらうようになり移転と。

TCB: 今の大きな仕事場の前にもう一件借りていました。魚屋の横の・・・

魚屋の横時代。


WKS: そう、あの刺繍屋さんの下のね。

TCB: その頃、今「TCBの専務」としていつも登場する彼も入社して。彼っていってるけど最初の会社の先輩なんですけどね。

左が専務、右がTCB井上君。まだ細い・・・か?
どう見ても民家っぽい床の間の前にペデスタルの巻き縫い。
やばい工場感がむんむん出てます。


WKS: 専務は井上君とは全くキャラが違うよね。寡黙で、几帳面で。

TCB: その点は本当にありがたいです。始めた当時は自分でミシンを踏んでばかりいましたが、徐々に営業もしないといけない。そうすると、生産を自分と同じ目・同じレベルで見てくれる人が要る。そんな時に、専務には本当に助けられました。

WKS: ある意味、専務の几帳面さは君以上だしね。それが会社として、自分以外の人と一緒にやる良さだね。自分の能力をある部分では超える人と一緒にやれる。で、さらに今の仕事場に移転はどうして?

TCB: その魚屋の横も徐々に狭くなってきて。次を探し出してみると、児島でも広い所はそれなりに賃料がかかる。そんな時、付き合いのある銀行さんから出物を教えてもらえて。これなら、賃料とほとんど変わらない金額で場所が手に入る事に。

WKS: ただ、どこまで行っても当時はOEM(相手先ブランドの製品を作る)言えば、製造の仕事。それがどうしてTCBに?

TCB: 最初のきっかけは知人が「児島でイベントがあるから出てみない?」でした。出るからには何か製品作ろうよという話になり、生地1反分をオリジナルの製品として縫って販売してみました。

まじめに裾上げをこなす井上社長。
恰好はどっから見てもふざけてますが。

専務・・・かな?こちらの方がだいぶ綺麗目。


WKS: 売れた?

TCB: いきなり、数本は買っていただけました。それで、手ごたえを感じつつもやるならもう少し本気でと思い、舘野さんに撮影機材の事とか聞きに行ったんです。

WKS: WORKERSは何も隠さないからね。井上君も良い機材使って、自分の伝えたいこと伝えて。WORKERSも同じようにやって、そのうえで何がお客様に伝わるか。選ぶのはお客様だからね。

TCB: それもあるけど、単純に舘野さんはおたくだから撮影機材にしろ、何にしろすぐ凝るし、それを人に教えようとするんですよ。いわゆる「開放的オタク」ですね。良い物は人と共有したい、伝えたい。それがWORKERSの良さだと思います。

WKS: 褒められると恥ずかしいね。


TCBのこれから・・・



海外から取材が来たり、すっかり有名に。
確かに、考えれば量産しつつブランド・メーカーとしてもやっている児島のジーンズブランドは少ない。

WKS: TCBとしていろいろ製品作ってみて、これからの展望とかこうなりたいとかは?

TCB: シンプルに「作って売る」です。うちはあくまで「製造メーカー」です。自社で作れないものには手を出さない。そのうえで究極の目標は「作っているところが見えて、そこで買える」。海外のImogine Willieもそうだし、日本で言えばジャンルは違うけれど家具のTRUCK。あんな風に、作ってる人がふらっと歩いていたり作業してる。その横にショールームがあって、製品を買える。そんな風になりたいです。

目標に向けて、工場見学を企画したり地道に一歩づつ頑張る井上社長。
ボーダーTシャツがWORKERSのXL相当でもきつくなりつつあるのは秘密。
今後も長く続けるためもう少し痩せてください。
WKS: それは今の児島で?

TCB: そうです。難しいのはわかっていますし、地理的には同じ児島でも駅前に近い方が良いなとか、ジーンズストリートにお店があればなとか思う時もあります。でも、この駅からも遠い、元家具屋さんの倉庫だったこの場所でジーンズを作り販売したい。その思いが、季節ごとにやる工場見学会だったりと活動につながっています。

WKS: という事は、今回のポップアップショップはその第一歩と。



TCB: もちろん「縫ってこそのTCB」なので、ミシンは持っていきます。裾上げミシンだけですが。もし、そこで興味を持ってもらえたら是非ブログを見てください。毎日の僕らの生産背景を紹介しています。もし、児島に来ることがあれば是非、工場にも足を運んでみてください。昔から、「ジーンズの工場見てみたい」って思いましたよね?

WKS: そうね。でも、見せてくれない。

TCB: もちろん、対応が出来ないとか、クライアントからいただいている業務内容の秘匿。そういう問題はありますが、自分は、ジーンズが好き、だから工場が見てみたい。そんな人の気持ちに答えたたい。自分もそうだったから。そういう青い部分があるんです。

WKS: その青い部分が君の良さだから、それを大事にこれからもお互い頑張ろう!


WORKERS・証言者鎌田さん編

WKS: WORKERS舘野を縫製業の世界に受け入れてくれた現カマダJPN社長(旧専務)に登場していただきます。さっそくですが、舘野を初めて見た時の印象はどうでしたか?

KMD: 初々しかった。色が白いな~と。

WKS: だいぶ猫かぶってましたからね。その後、実際仕事をするようになってからの印象は?

KMD: やはり、「これがやりたい」という目的意識がはっきりしているので技術的な面にせよ、飲み込みは早かったね。

WKS: でも、人生初の就職で正直、世の中の仕組みがまったくわかってなかったので社長にはいろいろ教えてもらいました。たとえば、物持ってく時には納品書を必ず書けよから始まり。

「俺は裏方だから出ない!」っていつもおっしゃるので後ろ姿で。
お互い年取りましたね・・・


KMD: 持って行ったら、ただ置いてくる・持ってくるだけじゃなく内容を確認しながら積み下ろしするとかな。

WKS: 「物持って行って帰って来るだけなら佐川急便だって、クロネコだってできる。お前が持ってかないといけない理由を考えろ!」って怒られましたからね。今思えば、社長も若かったので色々と怒って教えてもらいました。当時と比べると、やっぱり今は指導が少ないような・・・

KMD: 教えるのって、どうしても必死になるし、時には声が大きくなることもある。でもそれは、言ってもついてくる君だからこそ言った部分もある。後は必死に教えるのって疲れるからな。お互い、君も若くて色々吸収したい。俺も40代半ばで一番必死だった時。タイミングが良かったんだな。

WKS: だと思います。会社でも、それこそジーンズひっくり返すのから裁断の手伝い。縫い工場とのコミュニケーション。縫いあがった製品を最後、ボタン打ったり、洗ったりといった工程の手配から出荷まで。全部させてもらえたのが今、本当に自分の物作りの力に成っていると感じます。

KMD: 技術的な面とか、盗める部分は大いに盗んでくれれば良いと思っていたからね。

WKS: パターンCADも、最初にとっかかりで使わせてもらったのは会社でした。

KMD: ちょうど良いタイミングで前任者が居なくなって、そんな時、君はパソコン系は元々使える。そこに来て、パターンの知識もある。君にとっても学べるチャンスだけど、会社にとっても適任者だった。お互いに、利害が一致して良い関係だったんだよ、本当に。

WKS: 舘野の良い面、悪い面ってどんな部分でしたか?

KMD: 繰り返しに成るけれど、やっぱり縫製的な面、さらにコストの面、各工場の得手不得手。そういうのがわかったうえで、自分で仕事を取ってこれる所がすごいなと思ったな。悪いというのは、ある意味、良い面の裏返しでもあるのだけど、「是は是、非は非」がすごくはっきりしている性格だからたとえ、お客様であっても、非があれば受け入れられないという部分かな。でもそれは、俺もそういう部分があるから。


今頃、ちょうどうちのサンプル縫ってるはずですが、この日はお盆前なのでやっていなく。
なので、やらせ写真です。勤めてた頃は毎日こんな感じでした。
サンプル縫う人の邪魔をしに順番の指示とか、縫う時のポイントとか伝えに行ってました。
サンプル縫いの横に一人一台作業台置くレイアウト考えてみたり。
サンプルの手を付ける順番を一覧にするホワイトボード+マグネットシートの仕組み考えて、ホワイトボードを中古道具屋に買いに行ったり。
そうやって、試した工夫で、作業が早くなって、サンプルの売上が上がって。
試行錯誤が楽しかったです。

WKS: WORKERSとして独立させてもらう時は、うまく行くと思っていましたか?

KMD: うん、少なくとも俺は思ってたよ。在庫大きくかかえたり、お店だしたりって無理をしないで、小さなところから一歩づつやってたからね。

WKS: 最後に、今後のWORKERSに期待することは?

KMD: 少しづつで良いので、規模を維持・拡大しながら長く続けてもらいたいね。うちもそれに応えられるよう、今後も是是非非で旧態依然にならず、常に新しいアイデアを持って頑張っていくから。

WKS: ありがとうございました!


私が7年半程勤めさせてもらい、今のところ唯一務めたカマダさん。今でもWORKERSの製品を作ってもらっています。良い事、つらかったこと、いろいろありますが、基本的にはやっぱり良い会社だったなと思います。何も知らない私を教育してくれて、給料くれて生活させてくれ。そして、独立した今でも協力してくれる。あまり、「かかわる人すべてに感謝!」とか私は言わないのです。恥ずかしいのもあるし、何か、あまりにそれを年がら年中言ってると嘘っぽくなるし。でも、こうやって過去を振り返って、今の自分の環境を考えると、現カマダ社長、前カマダ社長。もっと言えば、先代の会長がカマダさんって会社やっててくれたから私もこの世界に入れたし、今WORKERSが出来てるのです。そう考えると「会長良く縫製業はじめてくれたよな」としみじみ思って感謝するしかないのです。今は亡くなってしなったのですが、私が会社入った頃は健在で、一番最初に会長室で「君が好きな2万もするようなセルビッジジーンズ、最近はそういうのがうちの仕事の割合が増えている。でも、私が始めた頃は4800円、5800円といった物が主流だった。果たして、こういう高価格帯の製品が今後も流通していくものだろうか?」と、当時70超えていた会長に聞かれました。私は、「もちろん続くと思いますし、その価値をお客様にわかっていただけるよう広報していくことが必要です」的な事を答えましたが、心の中では「70過ぎの人が普通にセルビッジってさらっと出てくるこの地方ってやっぱり本場だな~」なんて喜んでいました。